歯科大生の頃の遊び

同業者の話を聞くと、都内にキャンパスがある大学に通っていた同業者の学生時代の遊びは、東京の華やかな場所でいかにも豪奢な遊びをしていたというエピソードをたびたび耳にするのですが、私の通っていた大学は関東にある歯学部の中でも最も田舎にある埼玉の端っこの大学でしたので、おしゃれな都会の生活とは無縁でした。

場所としては関東平野の西の端で、一山超えると秩父という位置にあり、住宅と畑は半々、主要国道には飲食や小売の大手チェーンのロードサイド店が立ち並ぶような、言ってみれば日本の典型的な地方都市に母校はありました。

そんな環境でしたので、周囲に若い人が行ってみたくなるようなおしゃれスポットなどあるはずもなく、そうした場所に行きたい人は週末に東武東上線に乗り小一時間かけて池袋まで出て、更に乗り換えて東京のおしゃれスポットに行くしかありませんでした。ほとんどの人にとってはそこまで時間をかけて行くのは大変でしたので、大概は池袋で用を済ませるか、もっと手前の川越でという場合が多かったようです。母校がある毛呂山町や多くの同級生が下宿していた坂戸市と比べれば川越はよく栄えていて、当時の感覚からすると十分都会という認識でした。

しかしやはり多くの人が住んでいた坂戸駅周辺で遊ぶのが常で、しかも遊ぶような所もこれと言ってないので、みんながよく行く場所と言えばもっぱら居酒屋でした。坂戸駅前には和民、庄や、白木屋といったチェーン店があったのでもちろんよく行きましたし、そればかりでは飽きてしまうので個人店も含めてありとあらゆる居酒屋に行きました。もちろん誰かの下宿先で飲み会を開いて大騒ぎすることもありましたが、別の部屋の住人から苦情が来ることもありました。

坂戸駅周辺では飲み会以外はすることが無いので、飲み会に飽きたらどこかに出かけなければならないのですが、どこかに出かけるとなると大概は車です。体感として同級生の4分の3くらいは下宿してたと思うのですが、そのほとんどが自分の車を持っていて、同級生の半分くらいは車で通学してたように記憶しています。かくいう私も自分の車を持っていって、放課後はロードサイドのバッティングセンターやファミレスなどによく行きましたし、休みの日にはドライブに出かけたりしていました。試験の資料をコピーしに行く名目で埼玉から新潟まで車で行って、コンビニでコピーだけして帰って来たり、はたまたあまりにも暇すぎるので高速を使わずに京都に行こうということで運転を友人と変わりながら18時間かけて京都まで行ったりと、とにかくおおよそ生産性の無い事もよくしました。

当時私はマニュアルの原付を持っていましたので、近くの林道まで出かけて、下り坂をエンジンを切ってダウンヒルみたいなこともして遊びましたし、その道すがら小さな滝に寄り、滝つぼからの水の流れを変える治水工事みたいな遊びをしたりしたこともありました。

とにかく田舎であることのメリットもあったのでしょうが、あまりそれを生かした遊びをせず、ひたすら友だちと飲んだイメージしか残っていませんが、おかげで親交が深まり今でもずっと連絡を取り合って、時にはやっぱり飲むような友人がたくさんできたということが田舎の大学のメリットではないでしょうか。いささか強引な論法ではありますが。